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中国古典に学ぶ 兵法の現代活用

現代で様々な兵法を活用すれば活躍できそうですよね。 あまり書いている人いなさそうなのでさまざまな兵法書、 政治書から生き方を読み解き感想を添えています。 自分で書きながらアウトプットするためのブログです。 1記事1~3分で読める位にまとめてあります。

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墨子 非儒(ひじゅ)編 儒家批判


「至私するところを厚くせんと
欲するために、至重すべきところを
軽んず。あに大姦にあらずや。」

「礼楽を繁飾してもって人を淫し、
久葬偽哀(きゅうそうぎあい)もって
親を侮り、
命を立て貧に緩くして
高く傲踞(ごうきょ)し、
本に背き事を棄てて怠傲(たいごう)
に安んじ、飲食を貪り、
作務を惰り、飢寒(きかん)に陥り、
凍タイに危うきも、
もってこれを違る(さる)ことなし」

「孔某、肉のよりて来るところを
問わずして食う。」

「孔某の行いかくのごとくなれば
儒士はすなわちもって疑うべし。」


自身に近いところを厚遇しようとして
もっと重大なところを軽んじている。
儒教というのは、まさに大きな悪
である。

礼や音楽を盛んにして人を堕落させ
久しく死者を偽物の悲しみをもって
喪に伏し親をだまし、
宿命論を飾り立て、貧しくても
ふんぞり返り、本質に気が付かず
怠けてばかりいて、
飲食は無駄に一人前に行い、
仕事もしないでいて、
飢えと寒さに苦心し、
凍死まじかになりながら、
私の行いは理にかなったものと
言い人心を乱す。

孔子というものはどこから
手に入れた肉かもしれないのに
聞きもしないで食べるような輩だ。

孔子ですらこうなのだから
儒家というものは信用に
値しない。


いやー激しい怒りが感じ取れますね。
荀子編でも他思想に烈火のごとき
怒りを見せてましたが、
兼愛を唱え、
他人の為という思想のはずの墨子が
ここまで激情で批判する儒家
墨子が最初に学んだのは
儒家なんですよね。
儒家の最大のライバルとなった
墨子なんとも皮肉ですね。

批判するにも相手の考えと
実情、そこに至った考えを
しっかり理解した上での
批判だから具体的かつ
確信に迫るものがありますね。

現代ではあまりピンときませんが
いつの時代も思想の違い
宗教の違いはあるんでしょうね。

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墨子 非命(ひめい)編 自身で運命を切り開く


「言いて儀なくば、
たとえばなお運均(うんきん)
の上にして、
朝夕を立つるもののごとし。
是非利害の弁、
得て明知すべからず。」

「有命を執る者の言を用うるは、
これ天下の義を覆すなり。」

「有命を執る者の言に曰く、
『上の賞するところ、
命もとよりまさに賞せんとす
賢なるが故に賞するにあらず。』」

「『わが疲不肖(ひふしょう)
政をなすこと善からず。』
ということを知らずして、
必ず、
『わが命もとよりこれを失う』という。」


宿命論は国を乱す害悪であるから
基準を設けて検証していこう。
基準がないまま検証するのは
さしずめ、日時計の目盛りを
ずらしながら正確な時間を知ろう
とするようなものだ。
3つの基準で考えよう。
1つ、歴史に照らす。
2つ、実生活に照らす。
3つ、法令として布告した場合の
結果を予測する。

宿命論者の言を取り入れるのは
天下の義を覆す結果をもたらすので
大罪といえよう。

賢人が功績を立てたので
賞せられる。
これを宿命論者は
運が良かったからであって
決してやったことが
賢人のそれだったから
ではないという。

暴君と言われるものは
政治を蔑ろにしたから
聖王に征伐されたのでは
なくて、そういう定め
だったのだとあきらめている。
悪人の道に引き込む
考え方が宿命論だと言えよう。


名家の生まれと貧しい生まれ
これはその後の人生を決定する
ものではない。
と、墨子は励まして見えますね。

ある程度は幸、不幸はあれど
自身の力で切り開けるのが
運命なので頑張ろうと
いうことでしょうか。

「禍福は糾える縄の如し」
ですね。(^^)/
私の生まれもいいとは
言えませんが
運命に対抗してやります。
なんでも決定済みなんて
面白くないですもんね。


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