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中国古典に学ぶ 兵法の現代活用

現代で様々な兵法を活用すれば活躍できそうですよね。 あまり書いている人いなさそうなのでさまざまな兵法書、 政治書から生き方を読み解き感想を添えています。 自分で書きながらアウトプットするためのブログです。 1記事1~3分で読める位にまとめてあります。

墨子 兼愛(けんあい)編 言葉と要約


互いに愛し合うことの
利益は計り知れない。

「天下の人を悪みて人を
賊する者を分別せんに、
兼か別か、すなわち必ず
別なりといわん。」

「言いて兼を非とし、択べば
すなわち兼をとる。
これ言行払る(もとる)なり。」

「万方(ばんほう)罪あらば、
すなわちわが身に当る。
わが身罪あるも、
万方に及ぼすなかれ。」

「言として響いざるはなく、
徳として報いざるはなし。
我に投ずるに桃をもってせば、
これに報ゆるにスモモ
をもってせん。」



天下の人を憎んで
害を与えるものを
兼愛か別愛か分けるなら
必ず別愛になるだろう。
人を差別するから争いが
起きるのであろうし、
不利益を与えるから
不利益を被ると言えよう。

私の兼愛の主張に反対する
儒家と言えど、いざ自身に
飢饉が降りかかれば
仕える君子は
兼愛を実行する君主が治める国
に行くに違いがない。
言行が一致しないではないか。

人民に罪があるから天は
日照りという罰を
お与えになったのでしょうが
リーダーたる私の罪であります。
私に罰を与えても人民に罰を
与えるのはおやめに
なってください。

良い気遣いを頂けば
気遣いで返すのが普通
であろうし、
桃をお始祖分けとして
頂けば私はスモモを
お返ししようと思う。
互いに与え合って
支えあうことが理想で
あろう。


主観とされている論文の
一章ですね。
「非攻」と対になる
兼愛の考え方ですね。
順番で言えば、
兼愛だから争いなんか
起きるはずないという感じ
でしょうか。

1つ目、
人は差別するから争いが起きる
これは正しいかもですね。
まあ、原始時代から続く
生存本能で組織で互いに
分を守り生き残ろう
として、団結したのだという
説が最近読んだものに
書いてありました。
自身たちと異質なものを
排除する考えは
原始時代からの遺産
でしょうか。

2つ目、
確かに言ってることと
やってることが違うなんて
いうことありますね。
人は所詮、
利益重視なんでしょうか。

3つ目、
これは、聖王の時代
日照りが続き民の
苦しみに湯王が
祈祷したときに言ったと
されています。
天下の人の罪は私の罪だから
民に罰を与えるのはオカシイ。
素晴らしい考えですね。
見習いたいものです。

4つ目、
もうこの時代から
返報性の法則が
発見されていたのだな。
墨子の人間観察力は
凄いですね。

我々の社会は早い人は
お受験と称し幼稚園から
差別を受けて育ちます。
この競争社会を変えるのは
どうしたらいいんでしょうか。
+の競争だけで差別がなければ
競争も成長に不可欠なので
良いと思いますが。
目に見えない感情という
ものは厄介ですね。(;'∀')

目という器官は暗闇には
平気で慣れるくせに
光は痛いと感じる
星の光のような眩さの
希望が今の時代必要かもですね。





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