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中国古典に学ぶ 兵法の現代活用

現代で様々な兵法を活用すれば活躍できそうですよね。 あまり書いている人いなさそうなのでさまざまな兵法書、 政治書から生き方を読み解き感想を添えています。 自分で書きながらアウトプットするためのブログです。 1記事1~3分で読める位にまとめてあります。

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ニコマコス倫理論

共同体での生活で学ぶ中庸こそが
幸福に生きるための倫理である。
と発表したもの。

地球の外周を初めて計算した
数学者としても有名な
アリストテレスが
紀元前4世紀ごろに
書いたとされる。

まず、最高善とは何か?
という問いかけを行います。
それは、集団生活の中で
行われるしつけなどで

身に着ける徳。
「中庸」であると説きます。
つまりは、怒りっぽいのと
無表情は両極端であり、
集団の中の中庸は温厚さである。
またそれが徳であり、
幸福になる為の条件だ。
自身の行動次第である。

と続きます。

その徳は知性とは異なり、
学習ではなく集団の中に
おいてしか身に着けられない。
身につくと自制心が発揮される。
人の行動は3つの要因に
よって決定されるとし、
(欲望、気概、理性的願望)

自制心があると理性的願望で
行動できるのだと言います。

自制心とは理性が働くのだから
その人自身の知性によって
変わります。
その知性も2種類に分別できる
のだと言い、
理論的な「理知」と実践的な
「思慮分別」であるのだと説きます。

理知とは、
行動する前に確認しようかなと
一呼吸おく行為で、
思慮分別とは、
正義か悪かを見極める
判断力だと言います。
正義は公平であるのが
前提で実現できるのが
善であると
締めくくられています。

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ソクラテスの弁明

ソクラテスの裁判の様子を3部構成で
描いたもの。
弟子のプラトンによって
編纂されたとされる。
紀元前4世紀刊行された。

ソクラテスは「哲学の父」と言われる。
その理由は、
哲学という言葉にしたから。

哲学をフィロソフィーというが
知「ソフィア」を愛する「フィロス」
で哲学というと定義した。

1部では、人民を惑わし、
別の神を信仰したとして裁判に
なったソクラテスの様子と
反論が鮮明に描かれる。
「私が討論を始めたのは
デルフォイの神殿で
ソクラテス以上の
智者は存在しないと
信託を得たからだ。」
と言い、動機から話し始めます。
「国家の不正を正し、正義のために
殉死する覚悟。だから裁判でも
死など恐くない。」
堂々とした答弁だったそうです。

2部では、弁解をします。
確かに一方的にならないよう
被告の話も聞くのが裁判ですね。
「私は目を覚まさせただけで
悪くない。むしろ善行だとすら
思っている。」
と、述べています。
これが死刑判決に直結するわけですが。

3部では、自身と有罪を下した裁判官の
どちらがよい運命をたどるかは
神のみぞ知る。
といって締めくくられています。


主張が死に直結する時代に
主義を曲げずに死を選ぶ…。
なかなかまねできないものですよね。
ソクラテスの名前が今現在まで
残っているということは
神はソクラテスを
選んだのでしょうか?

それともプラトンのように慕っていた
弟子たちが隠れキリシタンのごとく
ひっそり残したのでしょうか。
想像の域は出ませんが、
今現在でも、多数派が常に
正しいとされる世の中なので
主張はコワいという考え
になってしまいます。

それを匿名で発散できるのが
Twitterなんですね。
日本人の3人に1人がやっている
のはそういう理由かもしれません。

小さな声を拾える人物に
なりたいですね。

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